『これは非常に重要な実験だ』
その日偉そうな髭の男は僕にそう説明した。
そして僕は彼に出会った。

「はじめまして」
《実験体》と説明されていたそのひとは、無意味に笑って僕に手を伸ばした。
それは僕らフツウのヒトとは違う生態で、似ているのはカラダのツクリだけだという。
僕に課せられた役割は、この《実験体》との生活だった。
「俺の名前は、」
笑顔のまま言葉を続けようとするそのひとの手を強く払うと、困った様にまた笑ってごめん、とそのひとは文章を切った。

気が触れてしまいそうな程、退屈な日々だった。
だが僕より先に得体の知れない同居人の方の気が触れていた。
歯車の狂った時計みたいに延々と無駄な情報を垂れ流し続けるのだ。
「今日さ、変な夢を見たんだ」
ユメ、なんてものを見るのは下等な生物だけだ。睡眠という行為の中でさえ脳を稼働させるなど我々には起こり得ない。彼はその事実さえ、知らない。
「俺と、ショウと、ヒナと。ああ、俺のともだちなんだけどさ」
彼は犬と同じだ。
眠りに落ちればユメを見ると言い、トモダチという枠組みを作り生きている。
「お前にも会わせてやりたいな、みんなに」
そう言って彼はまた例の鬱陶しい笑顔を見せた。
気の触れた人物はよく笑うと聞いた。まさに彼がそれだった。

僕が以前生活していた場所は、ここに比べれば楽園だった。
他人との関わりは殆ど無く、それによる無駄な労力は省かれていたし、労働という概念も存在しない。
けれど此処には気の触れた同居人がいる。『実験』の研究が行われている。
ひとり静かに神へ祈りを捧げることさえ出来ない空間だった。
下等な生物に神はいらない。だからいない。

 そもそも僕たちと彼は頭の構造の時点で大きく異なる。彼は驚くほど愚かである。
一秒と一センチメートルのどちらが長いのかといったら我々は、当然一秒だと答える訳だが彼にはその理論が理解出来ないらしい。
一センチメートルの距離を進むのに一秒の時間を要するほど彼の動きが鈍い訳では無い。
しかし、『ニンゲン以外のセイブツの全てがそうであるわけではない』から理解が出来ない。
他の生物の視点で物を見る時点で彼はもうニンゲンという生物ではないとも言える。
元々《実験体》という差別化されたニンゲンではあるけれど。
一センチと一秒の長さが比較出来ない彼でも僕との比較は出来るだろう。
比較という技術を持ち合わせているのならば。

無菌状態を維持された白い箱のような部屋を彼は悪趣味だと言った。
病室のようだ、と。
勿論僕に、というか我々ニンゲンにとってその概念は当てはまらない。
聞いてもいないのに彼は自分の価値観を垂れ流した。
鬱陶しいので無視をした。

「今日は夢を見なかったなあ」
当然の事を報告されることにうんざりしてきた。
「夢を見ない人間ってのはさあ、死んじまってんだってな」
勿論例え話だけど、と彼はぶつぶつと語り出す。生きているニンゲンだってユメなど見ない。
見るのは家畜と気違いだけ。

『彼は不完全だから、君を撃ち殺すような事故があるかもしれない』
僕にこの役割を与えた偉そうな髭の男がそう言った。
 なにせここまで頭のおかしな生物だから、今更驚くことでもない。

 聞いた話によると、同居人の気違いな引き金狂いの血液は赤いのだという。
 僕は気味の悪い赤の液体が体中を廻るのを想像して彼に初めて同情した。
 彼が事故を起こすようであれば彼の赤い臓器を引き千切ってやってもいいらしい。
 それよりも早く彼の命を絶ってやる方がシアワセなんじゃないかと思った。
 そして我々の高貴な血液を与えてやればいい。



 「俺とお前に与えられている真実は同じだけど正反対で二つの真実のうちひとつは偽物なんだよ」


2009年新歓号だったかな?
良い感じに厨臭い。

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