「何も無い大地がありました。大地があったのですから、何も無いと云う表現は少し間違っているかもしれませんが、からからの土が平らに広がっているばかりで、枯れ木の一本も無かったという状況です。
 それから何年も何年も激しい雨が降り続き、流れた雨水が川になりました。相変わらずそこは土と新しく出来た川だけしかありませんでしたが、それだけだった土地にある時人間が現れました。   人間が現れる前の世界に観測者などいないのですから、これが真実であるかどうか判断する術は無いのですが、事実としてそう伝えられています。勿論、それ以降の事も史実として伝えられたに過ぎませんから、総てが真実では無いのかもしれません。

  各時代に生きた人々が彼ら自身の生活を後世に残そうと思い付くまでにはもう少し時間がかかりました。何せ土と水だけの大地ですから、そんな余裕は無かったのでしょう。これも後の世で観測され定着した一つの仮定ではありますが。
  話を戻しましょう。ここからは一応、裏付けのある事実の話になります。とは言え、農耕の様子や領土の奪い合いなど原始的な時代は退屈でしょうし、何処の世界でも食傷気味でしょうから、その地が巨大な都市へと発展した時代まで進みます。

  今から、大体二千年は前になるでしょうか。乾いた土だけの世界だったとは思えない程発展したその都市には、不可能なものは何も無いとまで言われていました。事実、人類が最後に求めると云う不老不死や死者の蘇生などの技術はそれから数百年遡った時代に完成していました。
  ではそこに人間が溢れ返っていたのかと言うと、そうではありませんでした。寧ろ人口は年々減少するばかり。出生率はそれ程変化してはいませんでしたが、自ら命を絶つ人がそれを大きく上回るのが原因でした。労働に従事する人間が抜けた穴は機械がそれ以上の能力で補っていましたから、大した問題では無かったと言って良いかもしれません。
  なぜそういう状況に陥ったのか、理由としてはありがちなものですが要するに、終わりの無い物に対する恐怖を克服する術を人々は持っていなかったのです。持たなかった、と言った方が正しいでしょうか。生体実験や人造人間などはそこに暮らす総ての人々に常識として認可され、研究や作成が行われていましたが、洗脳や催眠のような感情の操作を彼らは禁忌としていました。
  仮令それが特例として許可されたとしても、彼らは技術の発達した世界に生まれ、育ったと云うだけで彼ら自身が高等な技術を持っていた訳ではありませんから、結局のところどうしようもなかったでしょう。人の代わりを務める機械を作りだすのも機械の仕事で、それを発展させたのも機械。そういう仕組みだったのです。

  さて、始まって仕舞った以上終わりが来るのは当然の事ですが、その都市も例外ではありませんでした。社会を動かしていた鉄人形たちに延命の術はありませんでしたし、彼らの存在と活動の意義である人間がもうそこにはたったひとり。何千、何万もの人形がたったひとりの為に動いていた時代が七年間だけあって、それが最後でした。残った人間は最後のひとりになった時もう既に老人で、左足が不自由でした。機械で出来た左足が歩くたびにぎいぎいと歪な音を立てるので、彼自身は動くことをとても嫌っていましたが彼の周りで動く彼の為だけの鉄人形たちはそれが自分たちの身体と似ていてとても好いていました。
  彼には三人の息子がいました。頭の良い長男、力の強い次男、それから三男は割と記憶力が良かったのではないでしょうか。勿論、それらは生物学的という観点で本当の息子だと言うことは不可能でしたが、彼の周りをがたごとと動き回る鉄人形とは違って人間と同じ皮膚や血液、それからある程度の感情を持っていたので、傍から見る人がまだそこに居たのならば本当の親子だと思うでしょう。彼は都市の全ての電源を切り、息子たちと四人で小さな小屋で過ごすことを決めました。
  不老不死や死者蘇生があった世界ですから、人体と同じ組織を鉄人形に着せること等簡単な作業でした。栄養素を必要とせず、また血液の循環無くとも腐敗や老化をしない皮膚。破損しても再生する細胞。膨大な処理と学習を可能にした脳。人間としての理想形、かもしれません。ただ理想は実在してしまえばもうそれは人間ではありませんが。

  息子たちが生まれて、正しくは創られてから、彼が動かなくなるまでの時間は死も老いも無い息子たちにとってほんの一瞬に過ぎませんでした。頭の良い長男は細長い管や電気の流れる板を沢山用意して、変わらない結果を何度も繰り返していました。機械でただ核だけを動かされているだけの父親を楽にしてやろうと言ったのは力の強い次男でした。次男が優しく圧し折った父の首の骨の音を、拉げた肩を、兄たちの姿を、三男はただ見ていました。ただ見て、記憶しました。
  
  結局そこに残ったのは寂しい老人の亡骸と三体の人形になってしまいました。人形たちは父親に大きな寝床を作りました。廃墟となった背の高い建物を父の墓標にしました。父が寂しく無いように、誰もいなくなった土地にまた人の明りを灯すため、人形の意義を果たすため働きました。
  長男は中心部で全てを統括する頭脳になりました。次男は全てを守る壁になりました。三男は全てを語る記録になりました。

  それから何年も何年も日々だけが流れて、流れた日々は何も無い歴史になりました。相変わらずそこには三人の兄弟と新しく出来た町だけしかありませんでしたが、それだけだった土地にある時人間が現れました。
  人間が現れる前の世界に観測者などいないのですが、これが真実であるかどうか判断する術として人では無い観測者がそこにはいたので、伝えられた事実が真実です。
  
  こうして、この国は生まれ、育ち、ここに存在しているのです」
 落ち着いた色合いの制服を着た案内人の男がそう言葉を締め括り、軽く礼をした。暖かな光の射す広間の中央で大きな黒い箱が何の支えも無く絶えず回転していた。世界でも最大級の機械都市の中枢機関で毎年行われる歴史と技術の観光案内は年々参加者が増え、それから永住を決定した客の数も相当になった。
 「この箱は、一体何なのでしょう」
 手帳と筆記具を持った眼鏡の男性が手を挙げて尋ねる。その手帳には小さな文字でどこかの国の言葉が乱雑に書き込まれていた。案内人の男は大きな箱にそっと触れて、柔らかい微笑みを見せ答えた。
 「頭の良い、優しい長男です。彼はこうしてずっとこの国の頭脳を司っています」
 観光案内の際は挙手の後質問する以外での私語は極力慎む事が規則だったが、聴衆は残念ながらいつもここでざわめいて仕舞う。案内人の男は何度も見た光景をいつも通り笑顔のまま見ていた。そしてある程度落ち着いてから、続きの言葉を紡ぐ。
 「そしてこの国の城壁は力の強い、温かな次男です。彼はああしてずっとこの国の安全を守っています」
 曇りの無い透明な窓から、所々染みの出来た灰色の大きな城壁が見える。窓の外に全ての視線が向かった。ここで恐怖に震える人もいれば、兄弟たちの想いに涙する人も、茫然と立ち尽くす人も当然いた。ざわめく聴衆の中で、白い手が挙がり、背の高い金髪の女性が訊いた。
「これはどこまでが本当で、どこからがお伽噺ですか」
 案内人の男は騒がしい声に消えないように少しだけ大きな声で答えた。
「少なくとも、老人と兄弟の件からは全て本当ですよ」
   しんと静まり返って仕舞った広間の中央。大きな箱が回転する音が静かに響くのを聞いた後で案内人の男が今まで通り落ち着いた声で続けた。綺麗な硝子球で出来た緑色の瞳がぐるりと人々を見て笑う。
 
「僕は割と、記憶力が良いので」



平成22年卒激号でした。家族愛。結構長めなのではなかろうかと思います。

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