×××は、なくなってしまいました。
もうどこにもありません。

画面が真っ暗になる瞬間に目を開けた。モニタは何も映してはいなかった。睡眠で時間を無駄に消費してしまっていたことに気付いた。嫌な夢を見た気がする。嫌という感覚ははっきりと残っているのに内容はぼんやりと記憶にぶら下がっている程度だった。輪郭を求めれば求める程それは曖昧な物になっていく。

カーテンを開けると外は薄暗く空は灰色だった。部屋に時計はない。パソコンのモニタが表示する時刻も狂ってしまっている。携帯電話は持っていない。時刻を正確に知るという事がここでは不可能だった。時間というものは常に人間を縛る。だからそれを放棄する事で時間の呪縛から離脱できる。

 時間のない世界で時間を無駄にする事は罪である。なぜなら無い物だから。無い物を使い且つ無駄にするのだから。この世界で一番の大罪を犯してしまった。それを咎めるようにモニタの時計は六時三十二分を示したと思えば四時十一分を示し、そして七時五分を示す。逃げるように立ち上がり、何か食べるものは無いかと冷気の籠った箱を開けた。異臭がした。刺身が痛んでいた。止まっていた時間が動いてしまったのだ。味の濃い烏龍茶を飲み干した。

 時間に縛られない事が絶対的な条件である。カーテンを閉める。電気を付ける。部屋から一歩外へ踏み出せばもうそこには時間が満ちている。外は危険だ。鍵は閉まっている。チェーンもかけた。ここに時間が流れ込むことはもう無い。

 キーボードを叩き続けた。それがどれくらいか、量に関する質問であれば狂ったコンピュータが信憑性の無い返答を映す。しかしそれが時間に関する質問であるのならばそれに答えられる物も者もこの空間には存在しなかった。認識されることで時間は存在することができるが解答者の存在は認識されることはない。無い物こそがここでは絶対である。 
 膨大な容量を積み重ねたプログラムが完成する。要した時間は不明。人間の脳を凍結させ、数日か数時間かあるいは数分か、記憶を削り取るシステム。時間を遡る方法を遂に実現させた。時間という絶対の存在を操る術を人間が手にした。誰かが、誰もが、不可能と言った。しかしこれがここにある真実であり現実。
 このプログラムはしかし未だ不完全である。永遠を手にするには繰り返す時間が少なすぎる。ならば遡った時間でそれを少しずつ改良して行けば良い。今ここに存在する時間は残り少ない。肉体が時間を取り込みすぎてしまった。ゼロになる前にゼロにしなければ。コードが展開される。データが解凍される。モニタには記号と数字の羅列が浮かぶ。時間で満たされて行く。永遠にはまだ遠い時間がまた巡る。

存在するものは必ず無くなる。しかし存在しないものは無くならない。ゼロからマイナスになるのは数字の世界のみ適応される定義である。ゼロからは何も引けない。永遠とはつまり時間がゼロになれば良い。時間を無くした人間こそ永遠である。そこに永遠は存在する。存在するということはゼロではない。時間を有する人間は有限の永遠を保持している。保持している。それは存在の証明でありゼロではない。

人間はまだ無限の永遠を手にすることが出来ない。プログラムが起動する。時間と記憶を奪って行く。第八六四番目の人間の肉体もそろそろ限界に近付いている。人間には限界がある。時間を有したから。しかし私にそれは訪れない。私はそれを持たない。必要としないから。時間の経過は生物の世界でのみ適応される。マイナスと同じものである。モニタが挨拶を告げる。おやすみさよなら、そしておはようはじめましての言葉が映る。

  ジカンはなくなってしまいました。
  もうここにはありません。



2008年卒激。2009? 年度でいうと2008です。
すごく眠かった時に書いたせいでミスなのか意図があってそうしたのかわからない部分がちらほら。
激励になっていないことは確か。

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